「世界の意思。それは非常に面白い考えですね。我々は元素の力を利用し、それを魔術という力で体現する方法を研究している訳です。それは、とりもなおさず我々の生活をよりよくする為という名目であったり、戦争に活用する為であったり、私のようにともかく知的好奇心を満たす為に、つまり一言で言えば面白いからという理由で研究している者もいるのですが、その根底には元素を利用価値のある道具とみなしている部分も否めないのです。しかしながら、元素は大陸全土に見られるように古来より新興の対象となりうる、言い換えるならば神の存在を感じさせるような意思を見せることが時折りあった訳です。それは辺境の小さな民間伝承から聖王アルトリウスにまつわる伝説のようなものまで様々な形を持っています。例えば、そのアルトリウスが使った聖剣スプンタなどは現にこうしてセルディックが身につけていますが、一体誰が製造したものか? 人の手によるものとは思えないほどの力を内在しており、人の手によるものならば少なくとも私に匹敵する力を持っていなければこの剣をこれだけ鍛え上げるのは無理ではないだろうかと常々思っているのですよ。つまり私が作ったものではないので、この世界に誰一人としてこれほどの力を持つ剣を作れるはずがない。しかし、ここに存在しているのであるからしてそれはもう世界の意思が生み出したとしか理由がつけられない。そんなばかなと思う向きもいるでしょうが、どんな馬鹿げた考えでも残された可能性がそこに至るのならばそれが真実。となるとどうでしょう? 元素はお互いに調和を保つ為に、何かが突出した時にはそれを抑制する力が働きます。何かが突出するのは大抵は人為的なものですが、世界の意思が元素のバランスを守るように働くのなら、それを崩すように働く人間というものの存在もまた世界にとって必要なのかどうか? 人のあり方を問うということがヴェルン教やアンラ教を生み出したのかもしれませんね。ま、それは興味が無いのでどうでも良いのですが、そのヴェルン教もアンラ教も結局は元素の調和を崩す人為的なもの、まさに負のスパイラルですね。え? 宗教批判ですって? いやいや、そんなことはどうでもいいのです。私個人のことを言えば、炎の元素を得意としていますが、すべての元素を極めますので調和を失う事はありません。すべての元素を極めた時にまた新たな景色を望めるかと思うと楽しみでなりませんよ。いえいえ、まだ私にも未知のものがありますから、世界最高の魔術師といってもまだまだ、知れば知るほど知らないものが増えるばかりですよ。…………」 「あ、先生が珍しく謙遜してる!」 「天変地異があるかもな…」 「すまない、私にどうにも謙遜しているようには思えないのだが」 |